照り焼き定食ごはん大盛り

関西担の怨念自分語り

関西のジュニア担であることを実感した話

今年も夏が来る。

ポスターが発表になったときに「まあ、そうだろうな」と思ってしまった。

そんな自分が悲しかった。

 

春、初日の公演中、会場中が楽しそうな空気の中で、ひとりだけ取り残された気分だった。どうしても気持ちが追い付かなかった。もちろんほかに見て楽しい部分はたくさんあった。あったのに、家でぼーっとただ付けた興味のないテレビ番組の画面を見ている気分だった。一番の打撃はsupernovaでそこにいないのに、音から声がしたことだった。それがsupernovaだったのが一番つらかった。はじめてソロパートを歌う姿を見れた曲で、本当に嬉しくて、はしゃいだ思い出が、踏みつぶされてしまったように思えてしまって、本当につらかった。イントロではしゃいだ自分が恥ずかしかった。出てきたらいなかったんだよ?なんにも笑えない。

わたしは思ったことをすぐ口にしてしまうので、公演が終わって、友達にとにかくワーワー言った。口も悪いので、そりゃあもうみなさんにお見せできないぐらい、わたしは悲しくて怒っていた。ありえん、ありえん、なんだこれ、こんなんなら出さないでほしかった、静岡に出るからってこれはひどすぎる、そう繰り返し続けた。

友達は楽しい時間だったはずなのに、わたしが一人こんな気分になってしまって、申し訳ない気持ちになった。一緒に楽しい時間を共有したかった。楽しかった思い出をたくさん聞きたかったし、わたしも話したかった。

 

バックの仕事の時にわたしはそれを見に行っていて、そこに行けていなかったらもっともっと絶望の中で生きていただろう。バックで踊ってる姿は春の舞台に立っている姿とは全然違った。嬉しそうにいきいきと踊る姿はわたしの大好物なので、すっごく幸せな気持ちになったけれど、どこか複雑だった。

いくらバックの仕事があるとしても、こんなに出番がないなら、出さないでほしかったとわたしは言った。でも今思えば、ポスターにも、短い出番でも、出してもらえたことにもっと感謝するべきだったかな。大阪のジュニア祭りには、そもそもいなかった。

春公演が終わって、その後情報局の動画がアップされた。バックで不在だった日に撮られた動画だとわかって、いつもだったら見る動画をわたしは今のいままで見れていない。春のつらい思い出を蒸し返しそうで、見れない。

 

それでも日誌だってラジオだって回ってきたし、新聞連載だって回ってきたし、ローカルではありながらテレビだって出れた。どれも本当に嬉しかった。

 

もうfunkyがどうたらこうたら、8人がどうたらこうたら言うのはわたしはできない。

勿論8人揃ったところは見たい気持ちはある。好きになってから有難いことにお仕事が続くタイミングだったし、funky推しなのも感じられた。楽しい思い出をたくさん残してくれたけど、funky推しも長くはやっぱり続かないよなあ。まあそりゃ年下を売りたい気持ちはよーくわかる。可能性も未来も彼らにはたくさんある。

わたしは古謝くんが一番輝く場所はやっぱり関西ジュニアのメイン公演であってほしい。松竹座で、できるだけ前のポジションに立っていてほしい。そしてできるだけ真ん中にいてほしい。と思ってしまう。

でもそれよりも古謝くんがジャニーズ所属のアイドルとして活躍してくれるほうが大事だ。一秒でも長くジャニーズのアイドルでいてほしい。どうかどんな位置でもいいから、彼の姿を見たい。歴も年齢も上がってきて、いつどうなるかわからないんだなあと実感してしまった。(もしその時が来るなら干されて干されて消えるようにいなくなってしまうのかな。それはやだなあ。せめて「ああ、最後なんだな」って思いながら、彼の姿を見送りたい。)

松竹座や8人に無意識にこだわってたのかな、と思った。そんなんどこだって古謝くんがいればいい。古謝くんのお仕事が見れるだけで嬉しい。

 

春のあの絶望がわたしの大好きな松竹座を怖い場所に変えてしまったせいで、毎年大好きな夏の公演にこんなに行く気がしないなんて。正直この気持ちを抱えたままで8月は遠いししんどい。

ももういいんだ。わたしは古謝くんが笑ってお仕事してるところが見れればもうなんでもいい。

うん。仕事ください。(笑)