照り焼き定食ごはん大盛り

関西担の怨念自分語り

人生は夢だらけ

5月のWESTツアーが終わって、「古謝くんの現場は次はエイトバックかなー!」と期待して、6月はマリウスでどっぷり照史くんのおたくをしていた私。

結局エイトは今年はバックなしの構成でした。

7月に更新した古謝日誌はそれはもう何と言っていいのか…ステージに立っているときもだけど、彼は自分から発信するものに本人の状態がかなり反映されている人なので、いままでどんな時よりも一番「本気でやめるかもしれない」と危機感を覚えてました。

正直夏は、自分も仕事を辞めて転職するはずが転職できなくなった直後っていうどん底状態でして。つまり古謝くんのこと心配するような状況じゃちっともなかったのに、古謝くんのこととあと照史くんの秋の舞台どうしよう…ってことを頭のどっかで気にかけている自分はどこまでも悲しいぐらいジャニヲタでアホだと思いました(笑)。

 

まー、そんなことがあって、今年も8月は松竹座に行くことはなく。

その間に古謝くんは雑誌に載ることもなくなって。

たまにある見学の遭遇情報すら以前より少なくなって。

どんどん古謝くんが置かれている状況に期待もできなくなって、本気でどんな道でも幸せになってくれればそれでいいやぐらいに思っていました。

 

9月に入っての日誌更新で、前回のドチャクソに鬱を滲ませてくる(言い方)日誌から明るく希望的な日誌を更新してくれたこと、それから梅芸のコンサートに触れてくれたことで、推定でありながらも梅芸に出るということがわかり、ちょっと彼も元気になってきたのかなと思って微笑ましく感じてました。それから毎年恒例の体育会で古謝くんは今年も関西代表として呼んでもらえたことも、やっと「あー、大丈夫だ、まだ辞めないでいてくれる」っていう安心が得られて、ほっとしました。

 

でもなかなかトラウマというのは自分から抜けないものです。

古謝くんが最後に出た春の松竹座の初日のあの絶望感が怖くて、松竹通ってた頃はあんだけ初日厨だったのに、梅芸もやっぱり初日は入るのをやめました。初日どころか「どうせ出番ないだろうしなあ」と思って最後の土日まで入る予定を入れませんでした。

ところがどっこい
初日を終えたあとのレポを見たらめっちゃ出てるって言うじゃないですか。

 

もうとにかくはちゃめちゃに凹みました。

ショックでした。

彼に期待をできなくなった自分が。

明るい日誌だったことにもっと注目するべきだった。古謝くんのこと「どうせ」で片づけてしまうようになってた。「古謝」でTwitter検索するとたくさん古謝くんを褒めてくれたり、古謝担のひとたちが嬉しそうにしているツイートを見るのも、とても喜ばしくて、そして非常に苦しかった。初日の古謝くんがどうしても見たかったという感情に蝕まれて悲しくて悔しくて、このまま梅芸に行くのもやめよう、期待ができなくなった私はあの子のことを応援する資格などない、と思いました。見たくて見たくて仕方なかったけど、でもこんな自分が見ていいものではないと、そう、強く感じてしまいました。そのまま初日から一週間ぐらいは本当に落ちすぎてて毎日「古謝」で検索して嬉しそうなレポを見て落ち込み、ファンサの対応がいいことを読みまた落ち込み、とにかく古謝くんが楽しそうで元気だということが解ればわかるほど落ち込み、落ち込みどぶにはまっておりました。

情けない限りですが、身近な友人たちにかなり励ましてもらったり、良い公演だ、古謝の出番がある、とにかく行けと言ってもらわなかったら、本当に梅芸には行かないまま古謝くんのファンはやめていたと思います…。友人各位にはめちゃくちゃ迷惑かけてすいませんでした…

 

日にちが近づくにつれて、松竹座以来に連番出来る友人たちにはやっぱり会いたくて、入ることを決めました。入るのにこのままのメンタルでは一緒に入る友人たちに何より申し訳ないという気持ちに苛まれて、とにかく入るためにはポジティブシンキングせねばならない、せっかく行くなら楽しまないと、とやっと思えたのが公演に行く三日前(遅い)。

いつも松竹に一緒に行ってた友人たちと私が連番するのは、私が多分松竹座にいかなくなってからだから、ずいぶんと久々で。

ロビーや梅芸の前で見知った顔の他の友達に約束せずに会えるあの感じも久しぶりだったし、会う人会う人に「すっごい久しぶり!」「元気?」と言われて、ああそれだけ古謝くんって関ジュの公演にいなかったのかと実感したり。

あー、二年前はジャニフワで来てたんだよなー、あの時も忙しくて全然行けなかったんだよなあ、あの時は本気で古謝に降りかけてたな、とか思ったり。

なんか、幕が開く前から、何もかもが、懐かしい気持ちになりました。
古謝くんがきっかけで出来た大切なものがそこにはたくさんあって、とてもとても幸せな気持ちになれました。

 

コンサートの内容は、もう、とにかく楽しくて、夢のようで、古謝くんは半年前に見たより痩せていて、レッスンに通った成果かダンスが上手になっていて、ソロパートももらえてて、おいしい場面ももらえてて。ずっと古謝くんが踊るのを観たかったBIO、久しぶりの轟、いなかったin大阪の日本よいとこ摩訶不思議あたりは無念を昇華させてくれた。

でもなによりどんな時も楽しそうにステージに立っていました。

どんな時も全力で楽しむ、私が古謝くんを好きになったきっかけで、一番大好きな古謝くんの姿が見れたのが、一番嬉しかった。

もうこんなに出番があるコンサートは、ないかもしれません。入る前も「最後の思い出作りかも」ぐらいに思ってました。でも、あの姿を見たら、あのコンサートを見たら。まだまだこの人はやってくれると思っちゃうじゃないですか。大好きって気持ちで溢れてしまうじゃないですか。

本編最後の曲のMy Dreams。古謝くんが前から2列目で噛みしめるように歌う姿に、この位置に戻ってこれたんだなあ…って実感して感動して泣きました。

梅芸に出れても松竹座には出れないだろうなって思ってたのに、日誌のあの感じを見ると、期待して待っていてもいいのかな。古謝くんをまた松竹座で、本当に見れるのかな。見たいなあ。松竹座でまたアイドルしてるところが見れるなんて、そんなこと、可能性ですら起きるとは思ってなかったから、ぬか喜びだったとしても、嬉しいです。

 

生まれ年が同じ私は、以前から少し自分と古謝那伊留というひとを重ねてるというか…大好きなアイドルでもあるんだけど、でもどこかで古謝くんを「戦友」のように思っているところがあって。
すぐ仕事やめなきゃいけなくなって転職もできなくなってアパートは立ち退きになるしでどん底にいたけど、秋が近づくにつれて、こんなことになってしまったんだし、もう自分のやりたいことをやろうと思って。全然まだ生活は安定してないけど、でも目の前が真っ暗ではなくなりました。だって、来年の今頃何してるかなんて、自分にもわからないし。ちょっとずつ、自分のやりたいこと、夢というと気恥ずかしいけれども、それを仕事にできるように動けてきていると思います。

クリパの初日も、まだちょっと入ろうと思えないし、こんな自分の立場だから、前のように現場に入るのは難しくなったけれど、でも古謝くんが頑張ってることで私も頑張ろうと思えるから、自分にできることをいまは頑張りたいなあと。

そう思えるようになれたから、梅芸に入って、あの古謝くんを見れて、本当によかったなあ。

まだやっぱり古謝くんのことを見ていたいし、ゆるゆるになっていくんだろうけど、ファンでいさせてください。

古謝くんが思い描く「あの場所」に私も連れて行ってもらいたいし、私が連れて行ってあげたいとまで思う。

 

なにわ男子が出来て、エイトさんが面倒を見てくれるようになって、関西ジャニーズJrという団体自体に光が当たるようになってきました。

関西に運がめぐってきてるのは間違いなくいまです。

そんな中で、古謝くんが古謝くんらしく、輝ける場所を見つけてほしい。もしその場所が見当たらないのなら、もう自分で作ってしまえばいい。

古謝くんの努力を、人となりを、見つけてくれる人が絶対いるから。