わたしの「担当」
わたくし、去年の秋、古謝くんのことを「担当」と呼ぶのをやめました。
(そのときのブログはこちら。↓)
てなことがあったので、わたしにとっての「担当」という概念は照史くん一人に当てはまるようになっていました。
とはいえ担当と呼ぶのをやめただけで、変わらずいままでどおり古謝くんのことは応援していたので、うえすとツアーは照史くんと古謝くんと二人分のうちわを使い分け、照史くん現場はもちろん、古謝くんがいれば回数は少なくなれどかんじゅ現場にも行き、な一年を過ごしました。
梅芸を経て、この度久しぶりに松竹座に立つ古謝くんを。
しかもありがたいことに、彼の入所日に、古謝くんを見ることができまして。
三年前にも一度古謝くんの入所日に現場を見る機会に恵まれたのですが、その時も、今回も、本当に入所日の彼は嬉しそうにテンション爆上げでステージに立っていました。もうなんにもしてなくても見れるだけでこっちも幸せだし向こうは楽しそうにしてるしで、ひたすらハッピーな時間を過ごしてきました。
そしてこの梅芸からの日々に、ひっさしぶりに、
「ああ、わたしは彼の担当をしているなあ」
という気持ちがぽろりと生まれまして。
梅芸うんぬんでズタボロに落ちてたけど、そこから息を吹き返してこれたのも、一つ要因にはなるのですが…改めてこれだけ好きでいられる存在は、やっぱりそうそうもう現れないだろうと実感しまして。
やっぱり古謝くんをわたしの「担当」と呼びたい。というか、呼ぶしかないんだろうなあ、と、思いました。(笑)
ということで。
古謝那伊留くんのことを、改めて自分の「担当」と呼ぶことにします。
桐山照史を担当と呼び始め、彼を見続けて、6年目。
古謝くんも担当と呼ばずに推しとして見てた頃から数えると、4年目になってました。
わたしにとって担当は「うちわを持ちたい人」だと思っています。
うちわはジャニヲタである自分がタレントに対して、「あなたのファンです」という意思表示を直接できる唯一の道具だと考えています。だから、うちわは自分にとってすごくすごく重要なもの。
わたしは一度作ったうちわは基本的に変えない主義なので、よく補修するのですが、その度にそれぞれのうちわを作って、持ち始めて、それだけ経ったんだなあと思うのです。
来年も、この先も、大切で大好きな二人を、それぞれへの気持ちとともに、うちわを手に応援したいなーと思います。
胸に「あなたのファンです」と掲げながら。